
夢のテクノロジー?ディストピアの始まり?人工子宮のある近未来を描いた映画
人工子宮などと書いてあると、重たいジェンダー論を想像してしまうかもしれませんね。 でも安心ください! 今回紹介する映画『ポッド・ジェネレーション』は、そんな敬遠されがちなテーマをやさしくポップに描いた、ジェンダーとテクノロジーを考える入門編的なエンタメSF映画です。
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- 作成日時:
- 2025/04/26 15:32
ポッド・ジェネレーション
- 制作年:
- 2022年

舞台は、AIセラピストがメンタルの悩みを聞いてくれたり、植物が生み出した美味しい空気を吸う“シーシャバー風”の施設が当たり前になった近未来の社会。プロダクトデザインの進歩感も絶妙でワクワクさせられます。 この何かと“便利で快適”になったこの世界で登場するのが、ポッドと呼ばれる人工子宮です。 卵型の装置に受精卵をセットすることで、妊娠は女性の身体を介さずに進行します。 劇中のセリフを借りるなら、『女性が史上初めて性別の被害者ではなくなった』——そんな夢の技術。 パートナーと公平に妊娠をシェアできる、新しい妊娠スタイルが、いままさに幕を開けたばかりの黎明期にありました。 レイチェルは大企業に勤めるキャリアウーマン。 昇進の話が進んでいる最中に会社から提案されたのは、ポッド妊娠という新しい出産のかたちでした。 一方、植物学者の夫アルヴィは、自然から切り離された妊娠に強い疑問を抱きます。 妊娠が技術によって“中立化”されていくなか、夫婦は価値観をすり合わせていくことになります。 本作がまず突きつけてくるのは、『出産はキャリアの障害なのか?』という根深い問いです。 会社はあくまで選択肢としてポッド妊娠を提示しますが、裏を返せば、妊娠・出産による勤務中断を企業が避けたがっている本音が透けて見えます。 『身体に負担をかけずに働けるように』という言葉は、裏を返せば『普通に妊娠されると困る』という無言の圧力かもしれません。 自由な選択のようでいて、実は社会構造のなかで“選ばされている”シビアな現実が描かれています。 もうひとつ印象的なのが、『母性とは誰が持つものなのか?』という問いかけです。 妊娠がテクノロジーによって母体から切り離された一方で、父親アルヴィはポッドに語りかけ、愛情を注ぎながら、機械の中に宿る命を、育み、あたためるように接していきます。 これは従来、母親が担ってきた役割のように見えますが、映画はそこに疑問を投げかけます。 レイチェルは、関わりの薄い自分を責めるような葛藤を抱き始めるのです。 母性は性別や体験ではなく、『どう向き合うか』『どれだけ愛情を注ぐか』で育まれるのではないかと。 また、一見すると、身体の自由、キャリア継続、夫婦での平等な育児など、良いことづくめに思えるポッドですが、本作が最終的に問うのは、『その自由は本物か?』という根源的な問いです。 育児までもが企業やAIの管理下に置かれ、感情は“最適化”され、心のケアすらアルゴリズムに委ねられる社会。 それって本当に自由なの? 便利さの先にあるものは何なのか、一考させられるのではないかと思います。 テクノロジーによって身体の自由は手に入るかもしれません。 でも、本当の自由とは、きっとそれだけではないはず。 『どう生きるかを、自分で決められること』 その当たり前のようでいて難しい自由こそが、この映画が差し出してくる静かなメッセージなのではないでしょうか。